鍵の存在の大きさとありがたさ

一人暮らしをするにあたって、鍵は大きな存在である。特に最近は、オートロックのマンションが多く、ちょっと外に出るにも鍵を持たないと、自分の部屋に戻ることができない。そんなことから、しょっちゅう鍵を持ち歩くようになり、財布は忘れても鍵は忘れない、そんな習慣がついてしまう。当然ながら、仕事で出かける際も、鍵は忘れてはならない。いつだったか、出先でバッグの中のものをひっくり返しそうになったことがあり、真っ先に探したのが鍵だったこともある。しかしながら、古来、日本人の生活の中で、鍵という存在はさほど大きくなかったように思える。むろん、蔵や門など、重要な建築物には鍵や錠があり、しかるべき人物がその監督をしていたが、一般庶民の家には鍵は存在しなかった。せいぜい出入口用のしんばり棒があった程度ではないだろうか。一般レベルでも鍵の存在が重要になったのは、明治以後の洋館建築が主流になったのも一因と思われる。出入口のみならず、個々の部屋にも鍵がかかるようになり、その後、アパートやマンションの部屋にも鍵が設けられるようになった。どちらがいいとは一概に言えないが、盗難やプライバシーを考えると、今の住まいには鍵があったほうが望ましい。子供のころ、集合住宅で暮らす機会が多かったせいか、どこか鍵がかからないと落ち着かないというのも、多分に影響していると思う。そんなこんなで、鍵を持って当たり前の生活をしてきた私だが、一度海外のホテルで気まずい思いをしたことがある。電子式施錠ができる鍵を、うっかり部屋に忘れたまま外出してしまったのだ。ホテルに帰って、鍵を部屋に置きっぱなしにしていたのに気づいたときは、大いにあわてた。仕方なくフロントに行って、つたない英語で理由を話したところ、フロントの主任と思しき男性がやって来て、では合鍵をお貸ししましょうとなり、どうにか部屋に入れたことがある。旅先ゆえに気が大きくなっていたのか、常に鍵を持ち歩く意識がすっかり薄れていたという、苦笑してしまう話を持ち出したところで、この鍵にまつわる話を締めくくるとしよう。

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