鍵の歴史と鍵の有効利用

大事な物を守る鍵は幾重にも厳重に

鍵に関するあくまでも私的なあれこれ


鍵にまつわる思いでは、良い思い出、悪い思い出、様々です。最初に思い出せるのは、飲んでいて自宅の鍵を紛失したことです。結局後から出てきたから良かったのですが、その夜は自宅の近くのホテルに宿泊しました。ホテルのフロントで住所を書く時、聞かれてもいないいい訳をしたのを覚えています。まったくもって無用な出費でした。その逆もあります。どうみてもどこかのマンションの鍵と思われるものを帰宅途中で拾ったことがあります。警察に届けるには歩いてきた道を駅まで戻らねばならず、結局はそのままにしてしまったのですが。落とし主は、その夜無事自分の部屋で眠ることが出来たのでしょうか。余計な心配をしてしまいます。鍵をもらったこともあります。ある場所で知り合った女性から、部屋の鍵を渡されたのです。数回しかあったことの無い人間に部屋の鍵を渡す神経が理解できなかったのですが、後から知人にその話をすると、ドッキリを仕掛けられたに違いない。勘違いして部屋へ行くと笑われるに違いない、と言われたのですが、そもそも部屋の場所も知らないため訪問のし様がないのです。この鍵事件はいまも謎のままです。それにしても鍵というものは不思議なものです。物凄く重要なツールであるにも関わらず、結構ぞんざいに扱われています。名前が書かれているわけでもなく、落とすと出てこない筆頭ではないでしょうか。電子キーや、暗証キーも増えてはいますが、未だに金属製の昔から替わらぬ鍵を利用している人がほとんどではないでしょうか。デジタルな機器を保管する場所も結構、最後は昔ながらの金属の鍵がかけられていることが多いのです。また、街で簡単に鍵の複製が手軽に作れることも便利ではありますが、不思議といえば不思議です。近未来的には今我々が鍵として認識している形は、きっとその時代の鍵のイメージとしてのみ残っていくのでしょう。なぜ鍵という文字は金偏なのか、ということがクイズになる日がくるのでしょう。


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